「いやぁ、最近の若いのは乱れていてイカンと思うんだよ」
禿げかかった中年男がそういうと塩豚フトシもうんうんと首を振る。二人の前には日本酒の一升瓶が置かれ、升にはなみなみと高い酒がつがれている。下の階の料亭から取り寄せたお作りが広いガラス窓から入ってくる光に輝いている。
そう、まだ昼過ぎなのだ。
「いやー、うちの方でも下のモンにプレッシャーはかけてるんだがね、今どき処女でそんなに性格のいい子はいないんだよ」
最高の酒に最高のツマミですでに調子良く出来上がっているのは四ツ星不動産の人事部長、性剛タケシだ。四ツ星不動産はセクハラやパワハラの噂が絶えないながら政治家とのコネで業績を手堅く維持しているよくも悪くも古い会社だった。
キラキラのMCビルヂングも施工自体は四ツ星建設だ。
「ふひひ、まったく最近の若いのは我慢ってのを知らないからねぇ」
塩豚フトシが相槌を打ちながら特大のブーメランを放つ。
「いやー、まったくまったく」
「そろそろお仕事の話ししていいですか」
シキナが若干イライラした声を出す。塩豚フトシならいくらダラダラしていても笑って許す彼女だが、目の前の大手企業の人事部長の無能っぷりは許せないらしい。
彼女の太ももをなでようとしてきた性剛部長の手をピシャリと払い除けてフトシに怒られたばかりなのが更に苛立ちを強めているのかもしれない。
「ああ、そうだったね。ウチとしては是非とも都合のいい新人の処女の女の子がほしいわけだよ。下手なコンサルに行くよりもMCリクルートを試してみようって話なわけだ」
ガッハッハっと笑いながら気分良くシキナの太ももを触るおっさん。
「それは光栄です。ではリクエストの詳細を伺いますね」
大手企業ということで珍しく敬語なシキナだったがあからさまに早くこの生産性ゼロな商談を切り上げたいと顔に出ていた。
「こらこら、シキナ。そんなふうに言うのは、不粋だよ、ぶふぅ」
塩豚がそう言ってたしなめる。数週間前に下の階の牛丼屋で店員にセクハラして怒られていたところを性剛に助けられたらしい。その後意気投合して、晩酌仲間になった二人はろくでもないほどよく似ている。
だというのに塩豚を甘やかすときの幸福感がこの禿にはまったくない。私の午後の時間は貴重なのになんでこんな奴のくだらないセクハラリクエストにそんな時間をかけなきゃいけないんだとシキナのこめかみが引くつく。
「じゃぁ、最近送られてきた裏名簿から選ばれてはどうですか?
あと、せっかくでしたら誰か下の階から女の子を呼ぶね」
「えぇぇ、シキナちゃんつれないよ~」
禿が絡みついてくる。「さわんないでよ、ハゲ」と脳内で毒づくシキナ。
「ああ、あれか。いいねぇ、最近裏から回ってきた地方国大の学生情報があるんだよ、ふひひ」
思い出して意識をそっちに向ける赤ら顔の塩豚。
わかりやすくちょろかわいいご主人さまにトキメキが押さえられないシキナ。ハゲとは違って動かしやすいご主人さまの素直さはシキナの推しポイントだ。下の階から呼ぶ女の子を一人だけにして、隣にはべってご主人さまを思う存分甘やかしたい。その欲求をスケジュールを思い出して理性で抑える。
ちゃんと仕事してご主人様を養ってあげないと甘やかせなくなってしまうから。
中年のヘンタイたちが呑んだくれた数日後、水川ホナコはMCビルヂングを見上げていた。周りを行き交う大人たちはおしゃれでスタイリッシュで美男美女に見える。田舎から出てきた自分はとても場違いに見える。
地方国立大の4年生、地元でこそそこそこな経歴だが都会ではたいしたものではないとわかっている。ましてやこんな一等地のおしゃれなオフィスには場違いも甚だしい。先輩に練馬の小さな出版社に面接に行くと言ったら、『せっかく上京するならこっちも受けなよ』と言われた大手不動産会社。ニュースでも時々セクハラなどのスキャンダルで話題になるその会社にも興味はなかったけれど、先輩の押しに負けて物見遊山気分で受けることにしたのだ。
自分なんかが採用されるはずがない。
だから気楽だと思っていたが、実際高層ビルを前にすると気後れする。ピカピカのリクルートスーツが途端にダサく見える。
ふぅっとため息をついてエントランスに入る。受付で説明してIDカードを渡されてエレベーターにのる。ピカピカなエレベーターのモニターに映った監視カメラ越しの自分の姿。それを見ながら最後の身だしなみチェック。
興味ない会社でも、いざ建物に入るととても緊張する。
高層階で降りて受付で教えられた部屋へ向かう。
コンコンコンっと木の扉をノックする。
「どうぞ」
中から声がする。こんなオフィスでもノックしたら同じ言葉が返ってくるんだとちょっと安心する。
中に入ると長机が一つ置いてあってそこに中年の男性二人が座っているのに目が行く。そしてその二人の間にまだ若くていかにもこのおしゃれな建物にマッチした感じの女性が一人座っていた。
「そこの椅子にかけて」
そういって長机の前の椅子を示される。
「今日面接を担当させていただきます黒石シキナと申します。こちらは四ツ星不動産人事部長の性剛タケシとリクルート・コンサルタントの塩豚フトシです」
紹介された二人の男性の視線が露骨に胸元に向かっていることが気になる。そういえば数年前に四ツ星建設はセクハラとパワハラを週刊誌に報道されて大問題になっていたっけ。あれから体質は変わっていないのかもしれない。
「自己紹介してもらっていいかな」
大手企業にしてはややくだけた口調でシキナさんが言う。彼女のキリッとした格好いい雰囲気が隣の下卑た男二人のネガティブな印象を打ち消している気がする。
「はい、○○大学文学部四年の水川ホナコと申します。このたびは面接ありがとうございます。大学では近代国文学で卒論を準備しています。アルバイトはずっと近所の書店で…」
もともと関心のない会社の面接だったから特別な準備をしていなかったことが申し訳無く感じられる。全部出版社や印刷会社、しかもあまり大きくないところの面接のために準備した言葉の流用だ。
「ありがとう。ホナコさんの長所と短所は何かな?」
伏し目がちに自己紹介した私にシキナさんが優しく聞く。
「えっと…長所は気遣いができることだってよく言われます…。短所は…あんまり自分の意見を言えない…ことです」
シキナさんのようなスマートなビジネスウーマンからしてみたらあんまりにも格好の悪い答えだと思う。なんだかここで面接しているだけで自分が惨めになってくる気がしてしまう。
「ホナコちゃん、おっぱいおっきいね~。何カップ?」
一瞬意味がわからなかった。こんな場所で聞かれるはずがないし、どんな場所でも聞かれるはずがない。
「えっと…、それは?」
こういう時に愛想笑いしながら戸惑ってしまう自分が嫌になる。
「ふひひ、おっぱいだよ、おっぱい!
ほら、そんだけ大きいとブラサイズ気になるんだよ」
混乱と緊張で全身が火照るのがわかる。
必死でシキナさんにアイコンタクトする。
なのに…
「ホナコさん、ブラサイズはいくつ?」
シキナさんまで答えるように促してくる。
「わかるでしょ?おっぱいのサイズ、ふひひ」
片方のおじさんがシキナさんの胸を揉みしだく。なのに全然抵抗しない。就活の面接なのに足元にポッカリと穴があいた気がした。
「ほら、言ってよぉ~」
無遠慮にそういう下品な声がガンガン響く。
「答えて」
同性の言葉に脅されて、どもりどもり言ってしまう。
「でぃ、…D…かっぷ…です」
こういう時に言いなりになってしまう自分が嫌だ。
「いいね、いいね、恥ずかしがる姿が可愛いよ。うちに就職したらいっつもそうやって恥ずかしがりながらお尻もませてくれるんだよね」
「ふひひ、ヒップは何センチなのかなぁ?おっきいよねぇ?」
どうしよう?どうしよう?どうしよう?焦りと恐怖に炙られる気がする。とにかく、逃げなきゃ。
衝動的に立ち上がって逃げようとしたところで足が震えて倒れる。
振り向くとおじさんたちがニヤニヤ笑ってる。いかにも逃さないぞという攻撃的な嘲笑い。
「う…わぁぁ…」
ポロポロ涙が出てくる。
そのとき、シキナさんと目が合った。
「ちょっと…しよう?」
なんて言ったんだろう?聞き取れなかったのに…急に眠くなっていく。
ホナコは暗示のキーワードを聞いてぐったりと意識を失う。
はっと目が覚める。やだ、面接中に居眠りだなんて。しかも大本命の大手企業の面接で。
面接官のおじさんたちと目が合う。どこかダンディで魅力的な気がする。セクハラじみた視線も上の世代では当たり前なんだろうな。
むしろそういう古い体質が歴史と伝統のある大手企業っぽくいと思う。ここで働くなら受け入れなきゃ。
「ホナコちゃんの志望理由は何?」
面接官のおじさんがやさしく聞いてくれる。
「それは、人生の節目節目で四ツ星建設にお世話になったからです。私の小学校も四ツ星建設の立てたものでしたし、大学も…」
もちろん普通自分の学校の施工主など知っているはずがない。ついさっきまでホナコも知らなかった。新しく吹き込まれた記憶が口から出てくる。
「だから、四ツ星建設に恩返しをしたいんです。いままでの私を作ってくださった四ツ星建設のためになりたいと思って志望しました」
針小棒大に拡張された記憶。知らなかった記憶が恩着せがましくかぶさってくる。
「ふひひ、今日の面接はここで終わりだよ。二次面接までの間に何回か研修に来て適正をチェックするからね」
ってことは今回の面接は合格?
「あっ、ありがとうございます」
嬉しくて声が上ずる。精一杯腰を折って挨拶する。
「あ、そうだ。次はパンツスーツじゃなくてできるだけ短いスカートで来てね」
「はい!わかりました!」
母さんがセクハラが多い企業を避けるためにパンツスーツにしろって言ったからパンツスーツできたけど余計なお世話だと思う。すぐにスカートを買いに行かなきゃ。
嬉しくてドキドキしながらエレベーターに乗る。
一流企業に認めてもらえた。なんだか自分の価値が認められたみたいで嬉しい。母さんはいつも「小さくてもしっかりしたところで働きなさい」って言ってたけど、それにいつも反発していた。親に気を使って中小企業ばかり受けたけど本当の大本命の四ツ星建設に受かるなんて今日は人生で一番幸せな日だ。
帰りの駅の構内のトイレで鏡に写った顔は泣いたみたいにファンデーションが溶けてて恥ずかしくなる。これからはもっとお化粧も頑張らなきゃ。帰りぎわに四ツ星建設のウェブサイトで施工事例として載っていた綺麗なカフェによる。パソコンの中のエントリーシートを全部消して、応募済みの企業に辞退のメールを送る。スッキリした幸せな気分のはずなのにどこかもやもやする。
1日目。
数日後、ドキドキしながら研修を受ける。ピカピカのMCビルヂングが今日からわたしの職場だ。
「今日はよろしくお願いします」
面接官のダンディなおじさんに深々と頭を下げる。
「あ、ちょっとそのまま頭下げてて」
意味がわからないけど従う。
「もう少し腰を折って?膝は曲げないでね」
「?」
よくわからないけど従う。
「ああ、みえないかー。ホナコちゃん、ダメだよ。スカートはパンティがちょっと見えるくらいの長さじゃなきゃ」
え…これってセクハラ?でもいきなり研修でセクハラってありえないし。
「うちの社内規定の長さのスカート用意してるから着替えてきてね」
まぁ、制服みたいなものだし社内規定で決まってるんならしかたないっか。
トイレで着替えて戻る。こんなに短いスカートを履いたことないかもしれない。でも古い会社だしやっぱり女性社員はスカートのほうがいいのかな?
「あ、ところでホナコちゃんって処女だよね?」
またしてもデリカシーゼロの発言。ほんっとこういうところが古い体質の会社らしい。
「ほら、上司の質問はちゃんと答えて」
「え、ひゃいぃ!処女ですっ!」
くぅぅぅ…恥ずかしぃい。でも上司に聞かれたら答えないわけにはいかないし。
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