日があまりはいらない繁華街のビルの谷間、薄暗い路地裏のカラオケに入ろうとする男女。今にも日が落ちそうな夕方の黄昏時、ビルの谷間はひと足早く夜に落ちそうだった。
「つーかさー、うちのガッコマジだるすぎんよ。そー思うだろ、オマエも」
オマエと呼ばれた気の弱そうな少年は引きつった笑顔で振り子のように首を振る。呼んだのは体が大きないかにもヤンキー風の少年だった。
「「ははは」」
やはりガラの悪い少年と少女がふざけたように笑い、気弱な少年の肩を揺すったり、背中をガクガク叩く。
「おいおい、もっとたのしそーな顔しろや。オメーがおごるんだから、楽しそ-にしてくんねーとオレラたのしくなれねーだろが」
それは悪質なカツアゲだった。いじめられっ子にお金をせびっただけでなく盛り上げるように強要する。汚れた魂がビルの谷間に淀んでいた。その淀んだ魂と淀んだ空気、汚泥のような悪臭を声が切り裂く。
「まって!あなた達、いますぐやめて!コウちゃんを離して」
少女の声、よほど決意しただろう思いつめた瞳は不良たちをキッと見据えている。押し殺した恐怖が隠しきれずにかすかに震えている膝。それでも彼女は睨んだ目を離さない。
「なんだぁ、オマエこいつのダチかぁ?」
巨漢の不良がそういってニヤリと邪悪に笑った。
「離してっていわれてもなー、オレラ楽しくカラオケに行こうとしただけだしなー、そうだろ」
バンバンっと不良が気弱な、コウちゃんと呼ばれた少年の肩を叩き、少年が痛みを顔に表す。
「う、うん。そうだよ。だから、ほうっておいて…」
「おいおい、せっかく追いかけてきてくれたダチにそりゃねーだろーが。一緒にあそぼーぜ。そしたらオレラが仲がいいってわかるからな」
少女を巻き込まないでおこうとする少年の精一杯の心遣いの気遣いを一瞬で打ち消す不良。
「私はどこにもいきません。あなた達と一緒に遊ぶきもありません。コウちゃんを離してください」
不安に押しつぶされそうな震えた声で少女が叫ぶ。その声の震えに不良達が目で邪悪な合図をし合う。
「いやいや、オレラ楽しく遊ぶだけだっつ-の。ってかおめーも結構かわいーじゃん。パシリにこんなカワイー女子の知り合いがいるなんてなぁ。紹介してくれね-なんて水くせーじゃね-か」
一番大きな不良のリーダーが少女に向かってのっしのっしと歩きながらそういう。その視線に写ったのは下品な欲望。目の前の獲物をビルの谷間の闇に引きずりこもうという邪悪な意思。
「ごめんなさい…」
そうポツリと少女がつぶやいた。直後風がビルの谷間の淀んだ空気を切り裂く。同時に汚い空気が新鮮な生臭い匂いに上書きされる。鉄臭い血の匂い。熱い血しぶきが吹き出し、一瞬後に巨漢の不良が膝をつく。彼に頭はなかった。
刈り取られた首が残り二人の不良の足元に転がる。
「きゃああああああ…」
一瞬状況を理解するための間があって不良の女子が上げた叫び声。それも途中で断絶する。鮮血が吹き出す。
不良の手下、犬崎牙男が見上げた目に映ったのはカマキリのように手を鎌に変形させて、羽を広げた怪物だった。
「おい、ちかづくんじゃねー、こ、こいつがどうなってもしらねーぞ」
気の小さい小悪党らしく、犬先がとったのは人質だった。いじめられていた少年の首にナイフを突きつける。
淀んだ空気の中でジリジリと膠着状態がつづく。燃えた少女の憎しみが震えて、我が身可愛さにナイフを握る犬先の手が震える。徐々にまちから光を奪っていく黄昏時。ビルの谷間ではもう相手の姿はおぼろげにしか見えない。
その膠着状態を破ったのはまたしてもビルの谷間に響いた声だった。
「まて、お前たち。双方武器を納めろ!」
全員に聞き覚えがあっただろうその声は、三ヶ森学園理事長、一ヶ森月影のものだった。その背後には数人の学園の制服を着た男女が見える。
「先生…もしかしてそいつをかばうんですか…」
怪人と化した少女の悲痛な声。
「いや、かばいはしない。悪は悪だ。然るべき処置をしよう。だが、どんなに辛くても超えてはいけない領域がある。お前はそれを乗り越えた」
その宣告の直後、少女の怪人化した細い足がコンクリートの地面を蹴った。最後に残った赤い太陽の光をかすかに彼女の羽が反射する。シュパッと空を切る音、直後月影の拳が彼女の腹に入る鈍い音。ドサッと倒れる音。一撃で、一瞬で勝負が決まる。悲壮な決意で怪人になる音を選んだ少女の願いは打ち砕かれる。
「ヒュー、やっべ、センセー、まじやっべー」
嬉しそうに手を叩く犬崎。さっきまで少年の喉元に突きつけられていたナイフはいつの間にか隠され、いかにも仲がいいというように肩を組んでいる。その犬崎の腕を振り払っていじめられっ子の少年、白葉が少女のもとに駆け寄る。
「大丈夫!!篠ちゃん」
意識のない少女を見下ろしながら月影が言う。
「大丈夫だ。気絶しているだけだ。妖魔の力を抜けるかどうかわからないがやってみよう」
自信有りげに力強くそういう理事長の瞳にはどこか優しげな色がある。日が暮れた漆黒のビルの谷間に、白く月の光が差し込む。
「お前の処分はおって協議する。我が学園生でありながらいじめなど、あまりにも情けないぞ!」
そう冷たく言い放って踵を返す。
「こいつの記憶は消しておけ。二人は本家にかくまって治療を行う。出席はこっちで調整し、ご両親にも学校から連絡する」
「「「はい」」」
そう指示に従う弓道部員の男女。鋳鞘を含む彼らの視線には一撃で妖魔を倒し、しかも寛大な事後処理を命ずる月影への憧憬が見えた。
その数時間後、記憶を封じられて地べたに倒れ込んで寝ていた下っ端の犬崎を丸い影が見下ろす。
「ウヒヒ、きったない魂だね。最高だ。ほら、起きなよ」
買ったばかりの真新しいブランド物の靴で少年の頭を蹴って起こす。
「てめぇ、なにすんだよ!」
蹴られて起きた犬崎が丸い影に掴みかかる。だが、それはあっけなく怖気がするほどに大量の虫の羽音とともに打ち消される。
「ブフゥ、まったくこれだから脳筋の不良はきらいなんだよ。せっかくいい話を持ってきてやったんだから話ぐらい聞きなよ。新しい主人になる男の話なんだから、イヒヒヒ」
数千匹の通常よりも大きな蜂によって壁に押し付けられた犬崎は状況を理解するとともに怯えた目でうなずく。先程彼自身がいじめられっ子にさせていたのと同じ色の目だ。
「ブヒヒ、そんなに難しいことじゃないよ。難しいことはどうせ理解できないしね。君に妖魔の力を上げるからさ、学園内の武闘派の男子を潰してほしいんだよね。僕は荒事はきらいだし、不良たちに関わるのだるいからね、ブヒヒ。女子は俺が許可したやつなら好きなだけだけるよ」
「オレに拒否権はないんだろ…」
卑屈に犬崎はそういった。今までは学園内の不良たちに服従し、いまボスが変わろうとしているだけなのだ。犬崎はきちんと選択権が自分にないことを理解していた。
「じゃぁ、魔祓い巫女どもが封じた君の記憶を開いて妖魔の種をあげるね、ブヒヒ。生き残れるといいね」
羽音とともに犬崎を拘束していた蜂が飛び去る。地べたに再び倒れ伏す気の弱いヤンキー。
「おい、それって…」
その言葉に返すこともなく、すでに丸い影、出武男はその場をあとにするところだった」
「ヒヒヒ、せいぜい頑張ってね」
妖魔の記憶が蘇ってきた犬崎はその場で悶える。そのまま妖魔の卵が彼の欲望を飲み込む。すでに何度も試してほぼ失敗し続けている虫系以外の妖魔を生み出すこと。それが出武男の意図だった。鉄火場に立てる武闘派でかつ理性を維持した妖魔でなければできないこともあるだろうから。それに、不良のほうがメスの好みの幅が広いから。穴があればいいぐらいのものだろう。
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