零ー壱日目 表 妖魔との邂逅 鋳鞘岸斗

カチカチと金属を打ち鳴らすような不気味な音がした。ざわつく夜の森、夏の風。俺は情けなくも尻餅をついていた、信じられない存在、いるはずのない化物が眼前にいた。
 俺はいつもどおり学校を終えて予備校に通っていつもどおり家に帰るはずだった。帰宅のために近道したのが運の尽き。恐怖、ほとんどの人はほんとうの意味で知らないだろう。俺は終わったと感じる絶望感。どうにもならない悲壮感の戦慄に震える感情。
 眼の前にいたのは巨大なムカデだった。常人が想像するような巨大なムカデではない。十メートルはあるだろうか。満月を覆い隠すほどに俺の前で威嚇する巨大な存在。鋏をカチカチならし、百本の足がぶつかりあう。
 その淀みよりも暗い目が俺を見ていた。ああ、俺はここで死ぬんだ。父さん、母さん、今までありがとう!そう心の中で十字を切る。俺は特別ではないが、今までの人生は悪くなかったと走馬灯のように諦めながら。
「諦めるのは、まだ早いとお姉さん思うな!」
 そう夜闇を切り裂く気の抜けた声。俺の緊張が一気に緩む。次の瞬間俺の前に人がいた。女だ。俺と同じ学園の制服!長いストレートの髪が化物に遮られているはずの月光を浴びて輝いて見えた。完璧なプロポーション、自信があるのか胸を張っているのがこんなに暗いのによく分かる。
「巫術八式!蟲殺切符」
 凛と煌くような凛々しい声が夜の森にこだまする。夏の風が彼女のスカートを揺らしたと思えば、彼女がどこからか出した御札のようなものが輝きながら空中に何枚も浮かぶ。
 化物がキチキチと威嚇するような音を出し、一気にこっちに向かってこようとする。
少女が右手を振り下ろす。
「魔のものは塵に戻れ!」
 その瞬間光り輝く銀の札が化物に向かって鋭く射出される。
 一瞬だった。化物の断末魔。特になんでもないかのように踵を返した同じ学園の制服をまとう女。
「大丈夫?この道は使わないほうがいいとお姉さんおもうな。ちょっと魔に近すぎるからね」
 去り際にソイツはそんな事を言った。次の瞬間、俺は思い出す。俺の学園、三ヶ森先輩だ。学生自治会帳で、確か弓道部の主将、三ヶ森日影!男女分け隔てない気さくな性格と抜群のプロモーションから性別学年を問わず人気のある学園の優等生だ。
 だが、俺が彼女の名前を思い出したときには既に彼女はいなかった。ただ彼女の残り化のように月影だけが平和を取り戻した夏の森で揺れている。

「三ヶ森先輩、昨日はありがとうございました!」
 化け物に襲われた翌日、俺は昼休みに弓道部を訪れていた。昨日俺の命を救ってくれた先輩に礼を言うために。
「にゃはははは、きにしないでいーのに!」
 そう先輩は笑う。
「私はやるべきことをやっただけだからさ」
「いや、それでは俺が納得できないです!ありがとうございます」
「まー、ケガがなければそれが一番だから。お姉さん、それだけでうれしーな」
 昨日の凛々しかった姿とは一八〇度違う、気さくな先輩。
「いや、それだけでは俺が納得できないです!どうか、俺、鋳鞘岸斗になにか手伝わせてください」
 そう俺は叫んだ。当然だ、命を助けられておいて、何もしないなんてできるはずがない。もちろん、俺にできることなんてたいしてないだろうけど、雑用でも何でも良かった。昨日のあの格好のいい先輩を見たときから、この先輩の隣に立ちたいと憧れてしまっていたのだ。夜も寝られないほどに。
「そーいわれてもねー」
 困った顔で髪をクシャッとする先輩。
「いいんじゃないか?それにそいつは鋳鞘なんだろ。とすれば昨日のこともなにか理由があるかもしれない」
 先輩に見惚れていて気が付かなかったがクールな声で我に返る。この学園の理事長の一ヶ森先生だ。短い髪を後ろでくくって垂らしている姿も、ダークなパンツスーツ姿も格好いいという一言で言い表すにはあまりにも美しいことで有名な先生だ。しかもそれだけクールでありながらジャケットの下にはパーフェクトなボディラインを隠しているらしい。
「ありがとうございます!先生」
「ああ、というわけでまずはそこの廊下のモップがけでもよろしく頼むぞ」
 当然のように指示してくる先生。俺はちょっと意味がわからなくて固まった。
「日影の役に立ちたいんだろ?なら今日から鋳鞘は女子弓道部のマネージャーだな」
「しかたないね。じゃ、鋳鞘クンには悪いけど、そーいうことで」
 そう先輩が言う、
「ありがとうございます!」
 よくわからないが俺は思わず口から礼を言っていた。
 その後、三ヶ森先輩は俺と一緒にモップがけをしながらいろいろ説明してくれた。
 この三ヶ森市には龍脈が通っており、昨日のような妖魔が龍脈から漏れ出てきてしまうらしい。龍脈の入り口の封印を維持し、現れた妖魔を倒すために魔祓い巫女と言われる存在がいて、この三ヶ森学園弓道部は伝統的に魔祓い巫女の訓練場だったことなどだ。
「最後に一つ、キミに言っておくけどさ、ウチの弓道部の鉄の掟を絶対守ってね」
 そう先輩がシリアスな顔で俺の方を見る。
「鉄の掟…」
 ゴクリとつばを飲み込んで覚悟する。
「主将の私のことは日影姉さんと呼ぶよーに!先輩とか、三ヶ森さんとかは禁止だからね」
 そう言って先輩は笑って俺のおでこをデコピンした。さっきまで妖魔が、龍脈がと深刻な顔で語っていた魔祓い巫女とは思えないふにゃっとした笑顔だった。

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